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MR MOGAMI
私がモアイ像の案内人です。
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南太平洋事業本部 TEL:06-4707-0770 / FAX:06-4707-2018
E-MAIL:kiaora@merci-tour.com



競技者は男性がほとんどの10人前後で、ふんどしひとつ、裸足、ボディーペインティング、髪の長い人はマゲが結われます。バナナの丸太を2本組んで作られたイカダ状の物の上に1人仰向けに寝て滑り落ちます。 斜面の最大傾斜は45度、滑り落ちる距離は約150m、最大時速が80キロと言われています。 1人ずつ滑り降りて、タイムを競います。



イースター島版トライアスロンコンテスト ラノララク内にある直径300mのカルデラ湖が会場です。 最初にトトラ葦で作られたカヌーでカルデラ湖を縦断します。 次にバナナを20kmかついで湖畔を一周走ります。 トトラ葦で作られたサーフィンボード大の浮きを持って4分の1周走ります。 最後に浮きを使ってバドリングで湖を一周してゴールです。






約300人がイースター島の民族衣装とボディペインティングをして、村のメインストリート2キロを約二時間かけてパレードします。
観光客の飛び入り参加も可能です。



お祭り期間中はほとんど毎夜行われます。すべてのコンテストは2チームに分かれて行われます。ダンスコンテストは様々な部門がありますが、団体部門は大人の部、青年の部、子どもの部があります。


マフーテ(梶の木の一種)の皮を約二時間かけて石の上でスリコギ状の丸太でたたき続けて、紙状の物(マフーテ)をより大きく、上質に作るコンテスト。競技者は原則として女性で、にわとりの白い羽や貝、マフーテで作られた民族衣装のコスチューム。マフーテは昔は衣服の材料として使用されていたもので、現在はイースター島の民芸品店で簡単な絵が描かれて売られている。
ビナプビナプのアフはペルーに残るインカ帝国のクスコ遺跡の石組みにそっくりなことからイースター島とインカ帝国の関係について多くの推測が挙がっている。手前にあるアフはムロイ博士の年代測定の結果、857年前後に作られたものと断定され、このタハイの遺跡と同じ時代のものと考えられる。奥にあるアフはヘイエルダール隊の調査結果をもとに1500年頃と推定され、この年代はペルーのインカ文明(1500年)全盛期と一致しているほか、このアフは南米大陸ペルー、チリを向いて建てられていることが判明。イースター島に住むポリネンシアンの起源はペルーから渡ってきたのだろうか。決め手になる説はまだない。村と島を見渡す展望台の風景→ |
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ラノカウ火口![]() ![]() ![]() |
| 火口湖の直径は約1.6kmで湖面までの深さは200m、湖の水深は4〜11m。火口湖からの地下水脈を伝わってハンガロア村の水源にもなっています。この湖の火口斜面からはたくさんの岩絵も発見されています。鳥人の儀礼が行われていた際に刻まれたものと見られています。また、強風を避けて火口湖周辺にはオレンジ、グアバ、バナナなどの果樹も栽培されました。 |
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2日目:終日観光 |
アフ・バイフ![]() 1750年前後に始まったモアイ倒し戦争(フリモアイ)の激戦区。アフ(モアイが建てられる祭壇)のモアイはすべてこのフリモアイによって顔を下向きに倒されています。 バイフからこの後のアカハンガまではアフと顔を下向きに倒されているモアイが海岸に点在しています。 |
アフ アカハンガ![]() イースター島初代王、ホツマツアが埋葬されていると言われる村の跡。山側の村跡にはボート・ハウス跡の石組みも見られる。また少なくとも3回はアフを組み直した跡があり、小さな子供のモアイらしきものまで倒されている。 |
ラノララク![]() ![]() ![]() |
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| モアイ岩脈から切り出して製造していた場所。イースター島観光のハイライトでもあります。現在でも約400体ほどのモアイがラノララク山の斜面に放置されたままに埋もれています。ここで切り出されたモアイは海岸沿いにあるアフ(祭壇)まで何十キロもの道のりを運ばれていきました。未だその運搬方法については謎のままです。火口(クレーター部分)の内側には火口湖が広がり、トトラ葦が茂っています。現在も湖の周囲には埋もれたモアイたちが火口湖を見下ろすようにたたずんでいます。 |
アフ・トンガリキかつてイースター島で最大の人口を誇った村が存在していた場所。1960年代のチリ沖大地震で起きた津波によって倒された15体のモアイは、1995年に日本の企業、タダノ建設によって復元されました。津波によって破壊されたモアイは内陸部の数百mもの範囲に渡ってばらばらになっていましたが、津波前に撮られていた写真を元に最新技術を駆使して復元されました。津波の際にできた傷や風化の傷みが激しい部分の修復のために特殊接着剤を開発、注入器などを使って細部にわたって復元。もとの形に仕上げていく根気のいる仕事を成し遂げました。同社の風化耐久実験は現在も継続中。今後もモアイのメンテナンスは続けられていきます。 |
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テピトクラ![]() この卵形の岩はテ・ピト・クラ(地球のへそ)と呼ばれており、ホツマツア大王がカヌーのバランスを取るために持ってきたと言われていたが、後年誰かが丸く作ったものと判明した。この岩に向かって座って両手と額をつけると大地の力が得られるとされている。 |
アナケナビーチ![]() この地は伝説の王、ホツマツア王がマルケサス諸島ヒバァの国からイースター島にやって来た際、最初の一歩を標したとされています。1978年に発見された「モアイの眼」はここにあるアフ・ナウナウの倒れたモアイの下から発掘されました。砂に埋まっていたため風化を免れ、モアイの保存状態はとても良いです。「コンティキ号漂流記」「アクアク」の著者、トール・ヘイエルダール氏もこの海岸にキャンプを設置しました。 |
3日目:博物館&アキビ観光 |
タハイ村![]() ![]() ![]() |
| 1970年にむムロイ博士によって復元された儀式村。アフの前には広場があり、神官の家跡や石製の鶏舎が見られる。このアフはモアイ歴史の中期頃 のものと調査結果が出ている。 |
アナカイ・タンガタ洞窟![]() ![]() ![]() |
| 鳥人の儀式の最後の大宴会が開かれ、数人の生け贄(いけにえ)が供された。 これら食人の儀礼が行われた洞窟のひとつで、海触洞の天井には鳥や鳥人の 絵が描かれている。 |
プナパウ |
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アフ・アキビ![]() 島内に点在するアフ・モアイの中で、このモアイだけが海を見つめて立っている。ホツマツアの7人の使者(息子)を祀ったいうアフ・アキビ。建造は10〜11世紀と言われる。イースター島のモアイは、外敵から内の民を守るために全て内陸を向いて建てられているが、このモアイ達だけがなぜか陸に背を向け、西の海を向いて建てられている。モアイの眺める方向は春分と 秋分の日に太陽が沈む方向であり、ホツマツア王がやってきたと言われるマルケサス諸島のヒバオア島が点在する方角でもあります。イースター島で亡くなった7人の使者(息子)の望郷の念を形にして祀られたものだろうか。 |
アナテパフ洞窟![]() 迷路のように延びた全長3000mともいわれる地下火山道。島には天然洞窟があり、戦争の際の避難所や住居、墓として使用されていた。 アナテパフ洞窟は島で最大のもので、戦争時には一時的に地下村落が形成された。洞窟の開口部は風防効果で風が弱まるため、強風の影響による島内の 貧弱な作物事情を助ける結果となり、食料用にタロ芋やバナナなどが栽培された。 |